6班

【白根の水害の歴史・前編】

 

昔、白根では頻繁に水害が起こっていました。

1枚目の写真は、昭和36(1961)年8月5日に起こった水害の写真です。死者1名、重軽傷者40名、2250戸が被害を受け、被害総額4億8000万円でした。写真や被害総額などを見ればこの時の水害がいかに大規模なものだったかがわかると思います。この時、土のうが不足したため、代わりに439俵もの米俵を使用し、水害の被害を最小限にしました。地元の方いわく「439俵もの米を失っても食料不足にはならなかった。避難などもせず、次の日からは普段通り学校にも通っていた。」そうです。こんな大変なことがあった次の日から普通に生活出来ていたのは凄いですよね!

また、写真の中央にある広い道路は当時国道であったため早く修復する必要がありました。すぐに消防署が駆けつけ、このアスファルトを約1週間で修復されました。

すぐに駆けつけたとはいえ、これだけの決壊を約60年も前に1週間という速さで2枚目の写真(現在)のように修復したのはびっくりです!!

#新潟県 #新潟市 #南区 #白根 #自然災害 #災害 #水害 #氾濫 #洪水 #昭和 #令和 #中ノ口川 #川 #水 #米俵 #米俵事件 #アスファルト #破堤 #今昔 #写真 #復興 #修復 #1週間 #歴史 #60年前 #白根の力 #タウンガイド #地元の人の話 #街歩き #白根の絆 #ビフォーアフター

 

【白根の水害の歴史・後編】

この絵は1961年8月5日に新潟県で起こった米俵事件の様子を、当時の写真をモデルに描いたものです。氾濫を阻止するための土のうが不足したため、439俵の米俵を積み上げ、水害による被害を最小限にしました。


#詳しくは前の投稿を見てください
#新潟県 #新潟市 #南区 #白根 #自然災害 #災害 #水害 #氾濫 #洪水 #昭和 #令和 #中ノ口川 #川 #水 #米俵 #米俵事件 #アスファルト #破堤 #写真 #イラスト #歴史 #60年前 #白根の力 #タウンガイド #街歩き #白根の絆 #439俵 #土のう #迫力