17班

中ノ口川の昔話

1961年(昭和36年)8月5日
豪雨で中ノ口川が氾濫を起こし、水害が起きました。
当時の中ノ口川の堤防は今より低く、頻繁に水害が起こってました。
そのため土のうが足りなく、その代わりに当時財産とも言われた
米俵439俵を使って水害を防ごうとしました。
この水害での死者は1名、被害総額は800万を超えました。(1枚目)
今でいうと100円程度のペンが60年前は5円で売られていたので、当時の被害額を現在の価値に換算すると20倍で1億6千万円にもなると言われています。
水害が起きた数年後に堤防ができて頻繁に水害が起きる事はなくなったそうです。

 

 

 

 

 


有料橋について

明治時代の初期までは中ノ口川を渡し船で渡っていましたが、明治10年(1877年)に現在の六太郎食堂さんあたりに富月橋が架けられました。明治末までは渡り賃をとっており、有料の橋でした。また当時は蒸気機関車が通っていて、富月橋周辺は賑わっていたそうです。1973年に400メートルほど上流に現在の富月橋が架けられました。橋を渡るのにお金がかかっていたとは驚きです。